こんにちはー!るなです(^^)
実は私はかつて、とにかくなんでも欲しがる人だったのです。
好きなデザインの洋服を見つけると「あ!欲しい!」
素敵なバッグを見つけると「あ!欲しい!」
可愛い靴を見つけると「あ!欲しい!」
道でポケットティッシュを配っていると「あ!欲しい!」
どこかのお店で○○をあげるってキャンペーンをしてると「あ!欲しい!」
セールをしていると「今買わないと損!」
・・・そんな感じでなんでもかんでも欲しがりました。
おかげで家の中はゴミだらけ(笑)ティッシュは助かりますけどねw
買った洋服も1度も着ない(タグ付きのまま)クローゼットに入っていたり、バッグもなんとなく使うタイミングが無くてそのまま。
靴も実際に履いてみたら足が痛くて1回しか履かなかったり、セールで買ったものなんてただ安いから買わないと損って理由だったので、1度も使用せず・・・_| ̄|○
でもたまにこういう人って居ると思うんです!
今回はその理由について考えてみようと思います。
ものを欲しがるのって愛情不足なの?
これ、私も大人になってから知りました。
愛情が欲しい。
でも貰えない。
だから代わりにものを欲しがる。
こんな感じですよね。
以前仲が良かった友人も、お買い物が大好きで洋服もたくさん持ってるんですが、更に買う!
しかも持ってるものと「え?これってあれとどこが違うの?」と思うような凄く似ている洋服。
彼女は洋服が多すぎて、自分の家にどんな洋服があるのか把握できないほどだったみたいです^^;
彼女も詳しく聞いたら愛情不足でした。
特定されたら可哀想なのであまり詳しいことは書けませんが、とにかく凄く可愛いしスタイルも良いのでナンパとかですぐに彼氏が出来るのですが、何かの原因ですぐに別れる。
別れたと思うと、またすぐに新しい彼氏が出来て、またすぐに別れる。
・・・その繰り返しです。(1ヶ月も持たない事が多い)
今は彼女も結婚して可愛い赤ちゃんも出来たので安心しましたが、当時(10年くらい前)は本当に心配でした。
私はナンパされてもついて行ったことは無いのですが、彼女はナンパされてイケメンだと必ずついていくし、そういうのが好きなら私にはどうしようもないなと思うしかありませんでした。
彼女の家庭(実家)ってかなり複雑で、彼女は母親に愛されてたのかどうかわかりません。
私は彼女のお母さんを知らないのでなんとも言えないのですが、彼女の話を聞く限り、毒親ですね。
私と同じで、寂しい心を物で満たそうとしているのだと思います。
実はうちの親も毒親
うちも毒親なので、なんとなく彼女の愛情不足がわかりました。
彼女の親はちゃんと結婚して彼女を産みましたが、うちの毒親は未婚の母です。
今で言う「シングル」ですね。
どうして結婚しないで私を産んだかというと、相手の男には家庭があったからです。
なので毒親は認知すらしてもらっていません。
小さな頃は上手く騙されていましたが、私が大人になり戸籍謄本(抄本?)を見ることがあり、その時に父親の欄が空欄でした。
それで毒親に確認したら、本当のことを打ち明けてくれました。
いや、別にね、良いんですよ。
そういう話ってドラマとかでもよくあるし「愛する人の子どもが欲しかった」って美談になるでしょ?
でもそのおかげでというか、私は「母子家庭」ということで周りから結構虐められました。
今は母子家庭なんてそんなに少なくは無いけれども、私が子供の頃ってかなり少なくて、クラスに私1人だけだったんです。
小学校の時の担任(女)の話
小学校の担任(女)は色々とヤバかったですw
自分の機嫌で生徒に暴言を吐いたりしますからねw
代表的なものでも以下のものがあります。
道徳の授業の時の話
小学校の時に道徳の授業で、母子家庭の話が出ました。
その時に担任が「このクラスにもお父さんの居ないお友達が居ますが」というと、クラスの全員が振り返って私のことを見ました。
私は何も悪いことをしていないのに、とてもいたたまれない気持ちになりました。
実際に下を向いて、ガクガク震えていました。
でもこれは担任は特に悪気があったわけではないと思うので、しょうがないです。
女の子の生理の話の時
小学生の時って、女の子だけ集めて生理の説明をしますよね?(たぶん今でもそうだと思いますが)
その時に担任が「この中で男の子のもの(おちんのこと)を見たことが無い人ー?」と聞いたので、私は一人っ子で父親も居ないため、もちろん見たことが無いので手を挙げたんです。
でも他のみんなは、お父さんや兄弟のを見て知っていたみたいです。
そしたら女の担任が
「もう!だから母子家庭は嫌なんだよ!!!!」
と暴言を・・・^^;
遠足の時の話
小学校の時の遠足で、みんなで芋の子汁を作ることになったんです。
私は鍋担当でした。
毒親に、うちの班の人数を伝えると、「じゃあこのくらいの大きさの鍋で十分だね」といい用意してくれました。
当日鍋を持って学校に行くと例の女担任が「なんでこんな小さい鍋持ってきたの!!!?」と。
でも親も人数を聞いてこれで大丈夫だと言ったことを伝えると、女担任は
「だから母親と2人暮らしは嫌なんだよ!!!」
・・・これ、全部本当のことですよ^^;
昔のことなのでアレですが、今なら問題になりそうw
※でも今考えるとその大きさの鍋で十分だと思います。どんだけ食うんだよ!!ってw
私はアスペのせいなのか、仕事などは覚えるのが苦手なんですが、こんな覚える必要のない一瞬で過ぎ去ったようなことはくっきりと覚えているんです^^;
そう。一字一句。声のトーン。立ち位置。全て未だに覚えています。
当時の成績は悪い方では無かったのですが(むしろ上のほう)、母子家庭だということで担任にまでこんな感じで虐められていました。
話がちょっとズレたので毒親の話に戻ります。
娘を自分の人形だと思っている毒親
うちの毒親は、私が小さい頃から自分の思い通りにならないとヒステリーを起こしていました。
私は小学生頃からこう言われ続けていました。
- お前は一人っ子なんだからお婿さんを貰って親の面倒をみないといけない
- いくら好きな人が出来てもお婿さんに来てくれない人は絶対に駄目!
- 親が決めた友達としか付き合っては駄目
- 高校も親が決めた高校以外は駄目
- 高校を卒業したら家から通勤できる会社に勤めること
- お婿さんに来る人が居ないと困るからこの家はそのために建てたんだ
そうです。毒親は夜の仕事をしながら(仕事があるときには昼も休み無く働き)私を育てました。
私が幼稚園の時にはおばあちゃん(毒親の母親)にずーーーっと預けられていました。
毒親に会えるのは1~2ヶ月に1回もあったかな?
毒親は私と一緒に暮らすために頑張って働き、家を建てたのです。
私は「これでお母さんと一緒に暮らせる」ととても嬉しかったのを覚えています。
だって、実の母親なのに数ヶ月に1度くらいしか会えないので、寂しかったし。
実際に小学1年生からは毒親と暮らせるようになったのですが、結局は夜の仕事なわけで、私は鍵っ子。
夜も小学1年生が1人で留守番するにはなんとなく怖いものがありました。
鍵がちゃんとかかっているかチェックをし、身長が低くて電気を消せないのでテーブルに乗って消して、
怖さを軽減するために大好きな歌を歌いながらトイレに寄り2階の自分の部屋へ行き、
大きなうさぎのぬいぐるみと一緒に寝ていました。
寒空の中手足を縛られ
私が小学生だったある日、私が学校へ行っている間に5歳下のいとこが家に遊びに来たらしいのですが、その時に私の大切なものをぐちゃぐちゃにして帰ったんです!
学校から帰ってきた私は毒親に「どうして触らせたの?」と聞いたら「お前が茶の間に置いておいたからだろ」と。
いとこが来るのがわかっていたら自分の部屋に持っていったのに、普段は自分しか居ないから茶の間に置いておいたんですよね。本当に失敗しました。
それでも文句を言う私にキレたのか、毒親は冬だったのに薄着のまま私の手足を縛り、庭に放り出しました。
毒親の言い訳
夜に1人で留守番は可哀想と思ったのか、毒親は私が寝るまで子守(?)をしてくれるおじさんを連れてきました。
実はこのおじさんは、毒親と一緒に住む前から知っている人でした。
子供の頃はわからなかったけど、まあ、毒親の彼氏ですよね。(当然家庭持ち)
そのおじさんは夜はいつも来てくれて、勉強を教えてくれたりしました。
毒親が仕事が休みの日には、私も一緒に3人で外食に行ったりしました。
高校生くらいになって、どうしてあのおじさんと関係を続けるのかと毒親に尋ねると、
「若い男と付き合ったら、お前が襲われたら困る!だからじじいを選んだんだ!」
・・・これが毒親の言い訳です(笑)
いや、私はどうして家庭のある人と関係を続けるのかと尋ねたのですが、それをなぜか正当化されました^^;
私への手紙を全てチェックする毒親
当時、今のようにスマホもlineも無かったので、遠くの友達や学校の友だちと文通が流行っていました。
高校生のある時に毒親に「あのMちゃんという子とは付き合うな!」と言われ、どうしてなのか尋ねると、
「失恋したから消えたい」って書いてたじゃないか!お前まで連れて行かれたら困る!!
え・・・私宛の手紙を読んだの?と、その時知りました。
毒親に聞いたら他の人からの手紙も読んでいました。
毒親は「娘のことが心配だから当然のこと」
と言い張ります。でもいくら子どもでもプライバシーってあると思いますけどね。
学生の頃精神科に行きたいと言ったら毒親は
私は中2の頃から自分を傷つける行為が始まったし、高校に入ってからは隣の席の女の子と「おはよう」と挨拶をしたのが入学してから1週間後でした。(彼女から挨拶してくれた)
心も沈みがちで人間も怖かったし、自分はおかしいかもしれないと思い、近所の精神科へ行きたいと毒親に言ったら
「駄目だ!世間体悪い!!!」
・・・一喝されました。
毒親は昔から世間体しか考えていないので、娘のことよりもまず世間体です。
会社に勤めて鬱病になった時に毒親は
多分これはADHDのせいだと思うのですが、私は一つの職場で長続きしない人間で、今まで10社どころではなく色々な仕事をしています。
最初の会社は両利きだった私の適職で、作業が早く正確ということで社長のお気に入りだったらしく、それで他の社員達(全員女)に嫌味を言われたり虐められました。
次の会社では睡眠時無呼吸症候群の特徴でもある「日中の睡魔」が出てきて、仕事中に何度も寝てしまい「お顔洗ってきたら?」としょっちゅう嫌味を言われました。
当時は自分が睡眠時無呼吸症候群だなんて知らなかったし、どうして仕事を頑張ってやらないといけないときに眠くなるんだろうと悩んでいました。
そんなこんなでどこで働いても長続きせず、「私は駄目な人間だな」と落ち込むことが多かったです。
で、ですね。何個目かの会社で事務をしていた時に社長にパワハラを受けまして、入社6ヶ月でとうとう鬱になり、毒親には黙って精神科へ行きました。
社長は基本的に悪い人では無いのでしょうが、とても言葉が乱暴な人で、「○○をやれ」といわれても「PCが対応していないため出来ない」と答えると出来ないのは私のせいということにされます。
その他にもパワハラは色々ありまして、笑えなくなり他の従業員と喋るのも辛くて、ついに朝に会社にいけなくなり何とか電話をして「体調が悪いので病院へ寄ってから行きます」と頑張って伝えました。
勇気を出して精神科へ行くと、かなりの抑うつ状態と言うことでした。
診察とカウンセリングも受けたのですが(ロールシャッハもしました)・・・もう心がヤバくてそれ以来その会社での勤務は不可能でした。
確か次の通院の時に、私の感情が安定しなくて急に泣いたり、かと思えば何がおかしいのか自分でもわからないのですが大きな声で笑ったり、
10数秒ごとにその繰り返しで自分ではどうすることもできなくなりました。
そしたらナースが「お母さんを呼んで!」と言い、電話してくれたらしく毒親が来たのですが・・・
ドクターが「娘さんは強い抑うつ状態です。」と色々説明してくれたら
「鬱病なんて・・・私にはわからない」
と嫌なものを見た時のように毒親は答えました。
その言葉を聞いたらやっと私の本当の感情が現れて、その場で大きな声で泣きました。
今、このブログを書いていても、その時のことを思い出して泣きながら書いています。
まとめ
やはりこのように愛情が足りないと、子どもは心の病気になってしまうんだなあとわかりました。
全ての子どもがそうであるとは言いませんが、確率的には多いと思います。
私が虐められていた原因は、今であればADHDやASDなどのせいもあったのかなと思いますが、とにかく周りからは「普通の子供と違う」と思われていたみたいです。
それはおとなになってからも続いて・・・もう5000文字超えているのでそれは次の機会にお伝えしようと思います^^;
最後までお読み頂きありがとうございます!
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